日本の刑事政策の闇

今日は家族と居間で雑談しながら過ごしていると、 つけていたテレビでテレビ朝日
「スクープ」がやって いました。そこで取り上げられていたのは極めて対照的であり
同時にどちらも共通する病巣を抱える二つの事件でした。 一つは兵庫県姫路市
起こったバラバラ殺人事件、もう一つが 静岡県御殿場市で起こった強姦未遂事件に
関してです。


【姫路バラバラ殺人事件の概要と経過】

 姫路市のバラバラ殺人事件においてスクープで問題とされて いたのは、容疑者が
逮捕されて起訴され被告となり、裁判が 行われましたが、そこで検察側が
主張したのが、ほぼ完全に 被告の供述通りの内容を、事件の事実として
主張した事です。 そこでは被害者は金銭を被告に要求してきて逆上しカミソリ
で被告に襲い掛かってきたため、ハンマーで殴り殺した、 というものです。
当然被告側はそれに対して正当防衛を 主張しました。

 ここでの問題は、被告の供述がほぼ無検証のままに検察側の 主張とされていて、
裏づけがされていない点、そして遺族側が それを納得できず独自に事件を検証し
証拠集めを行いました が、この中で警察側が被告の主張通りの調書を作っただけで
見逃していた新事実が、まともに調べていたなら分かったはずなのに、見逃されていた、
ということです。最終的に警察側は遺族に対して捜査に不備があったとして
謝罪しましたが、裁判に関しては、もはや起訴がなされているので、 捜査は行えない、
今回のことを教訓に再発防止に努めたい、 という形に留まりました。


 確かにこれは起訴後は被告に対しては基本的には取り調べが できないので、
法律上の問題かもしれませんが、検察側は本来 対応できるはずです。しかし問題は
検察側はそれら遺族の発見 した新事実にも関わらず、依然被告の供述そのままの
主張を していることが、極めて問題であり、何故新たな問題を十分に 疑える事実が
明らかになった後にも関わらず、検察側は主張を 変えようとしないのか、それが
なによりも問題です。

【いわゆる「御殿場事件」の概要と経過】

 そしてもう一つの事件である「御殿場事件」は、前述の事件 と内容はある意味すごく
対照的で、ある意味まったく同じ問題 を抱えている事件です。この事件は静岡県
御殿場市で、「女子高校生が帰宅途中の駅前で、知り合いの男2人に捕まり、
女生徒に彼女の親に『電車が遅れて遅くなる』とウソの電話をかけさせられた上で、
中央公園まで連れて行き、その途中 8人の少年が合流し、中央公園で1時間半に
わたりレイプ未遂 を受けた」

 ・・・という訴えが女生徒からなされ、少年10名が逮捕、 長期間にわたる取調べの末、
少年たち全員が自白を行い、 家庭裁判所において裁判になりましたが、裁判において
突如として少年たち全員が、「自分たちは絶対に無実だ、 供述は警察側から強制・誘導
されて作らされたものだ」と 主張した事件です。

 この事件でまず恐ろしいのは、まず、この裁判において 御殿場警察署側が捜査し
集めた証拠と検察側が起訴するに 当たって証拠としたものが、「被告」となった少年たち
の自白 と少年たち相互が他の少年の「犯行」の供述を行ったもの、 それだけだという
ことです。レイプ、ないしレイプ未遂事件 ならば、たとえば被告の体液なり決定的なもの
から、最低でも 事件当時の被害者の衣服、被害者の被害に関する医師の診断書が
提出されるはずだと思いますが、それはまったくなく、 夜道での通り魔的犯行なら
ともかく、この事件では「被害者」 は駅前から中央公園まで、約1kmある行程を
その道のりを 少女の両手をつかんで拘束した状態で、女1人男10人の集団
が駅前から中央公園に続く繁華街を夜8時半という時間帯に 歩いて連れて行った、
というもので、本来なら少なくとも 少女を拘束して連れて行くところの目撃者は、
ほぼ見つかっておかしくないはずなのですが、連れて行っているところの目撃者さえ
いません。

 このような不十分すぎる状態での裁判と少年たちの突如と した無罪の主張に対して、
「被告」たちの両親や友人が 事件のさまざまな調査を行いましたが、その結果は
驚くべき ものでした。まず、被告のうち8人は事件当時、居酒屋にて 飲食をして
いたのが店員の証言と、少年たちが注文したという 食べ物飲み物の内容と、店側に
残っていた伝票の内容が完全に 一致していたということ、また、少年のうち一人は、
なんと 事件当時バイトに行っておりタイムカードまで押している事、 かなり明らかな
アリバイが出てきて、当然両親や友人たちは 警察と検察に対し伝え、弁護士に
おいてもその主張をしました。

 しかし、検察側は「両親たちが共謀してウソのアリバイを 主張している」として黙殺し、
裁判官もそれを受け入れず、 公判は続きましたが、その後、事件はいろいろな意味で
信じられない展開を迎えます。「被告の少年に強要され 少女は自分の両親に携帯電話
で遅くなると電話をかけさせられた」と主張されていましたが、それは供述通りの時間に
確かに携帯電話の通話記録に残っていました。ですが、少年たちの両親が注目した
のは、その通話の次に通話された電話でした。供述ではその後少女は両手を
つかまれていたはずなのに、なぜ電話ができるのか?

  そしてその通話の相手先 にどのような会話をしたかを確かめると、驚愕の事実が
明らかになりました。事件当時の通話先の相手の会社員は、 少女と出会い系サイトと
知り合った相手で、少女は事件当時とされる間のその電話で、「今から会おうよ、
遅くなっても大丈夫。適当に親にごまかすから」と言い、実際に50kmも離れた
富士市で少女と会った、と会社員は 証言し、そもそも少女が被害現場であるはずの
御殿場市の 中央公園にいられるはずがなく、事件当時少女は富士市に いたことが
明らかになり、かつ、会社員の証言では、「遅く なっても、誰かのせいにするから」と
少女が会っている時の会話の中で言った、という内容でした。

 普通に考えれば、「事件は少女が出会い系サイトで出会った 相手に会うために、
親に帰りが遅くなることの言い訳に、 事件をでっち上げた」と感じますが、公判で
それが主張される と、検察側は少女に対して、「事件の事実はあったのか?」と
質問すると、少女が「最初事件があったと言っていた 9月16日は虚偽でしたが、
9月9日に実際に事件の事実は ありました」と答えました。普通はそもそも証拠と
されている少年たちの「自白」で、「私は9月16日に犯行を行い ました」と全員が
供述しており、事件が9日だったといったら 証拠がほとんどゼロになるはずなので、
裁判にならず、起訴取り下げで終わりそうなものですが、検察側が行ったのは
とんでもない事でした。検察側は「日にちの間違いはあった ものの、事件の構成要件は
変わっていない」として、 事件の日にちを9日に変更する「訴因変更請求」を裁判所に
対して行いました。

 訴因変更請求とは、 「裁判所は、検察官の請求があるときは、起訴事実の同一性を
害しない限度で、起訴状に記載された訴因や罰条の追加、撤回又は変更を
許さなければならない。」 というもので事件の日にちなどが勘違いで違っていた場合
とかに、裁判を一からやり直すよりも、少しも間違いなら修正して裁判を続けられる
というものです。

 しかし、この事件の場合はまず訴因変更となる事実を 主張したのが「被害者」である
少女の側であること、そして、それならば日にちの勘違いをしていたのは少女だけで
少女の証言に関してのみは変更できるかもしれませんが、この事件において証拠と
されているのは、「被告」たち少年の「自白」であり、その自白の内容はみな16日に
犯行を 行ったというもので、被告側が勘違いを同じくする確率が極めて低いことを
考えれば、被告の供述の証拠能力はゼロだと なるはずです。日にちの変更で
少年たちの証言が覆るのは、公訴事実の同一性を明らかに害しますし、両親たちは
当然に訴因変更は却下されるものと思っていました。

 ところが裁静岡地裁沼津支部が出した結論は驚くべきものでした。訴因変更を認め
公判を続けるとし、両親たちが 立証したアリバイは日にちが違うため意味がないとして、
最終的に少年4人に対し懲役2年の判決が下されました。

 この無茶苦茶な決定に弁護側は「訴因変更を認めるのは 被告にとって著しく
不利益で、公正な裁判を受ける権利を侵害し、憲法違反だ」として、最高裁
特別抗告を行います。 法の番人たる最高裁がどんな判断を下すか注目されましたが、
結論は「棄却」でした。そして審理は静岡家裁沼津支部に 差し戻されましたが、
いままでは少年法により家庭裁判所では検察官は出席しないはずでした。

 しかし、ここで検察側は少年法改正により新たに認められた、家庭裁判所の審理に
検察官が同席することを要求する「抗告受理申し立て」を法改正後、日本で初めて行い、
裁判所はこれを認めました。
  そして初めて検察官立会いの状態で現在裁判で争っているそうです。家裁への
差し戻し前に明らかになった事実では、少女は事件当時服が濡れたり傘をさしたりした
ことはないと証言しましたが、日にちが変更された9月9日の天候を調べると、
御殿場市は事件当時、各地の降雨計の観測では平均で 3mmの雨、9日全体では
45mmの雨が降ったそうです。少女は服は濡れていない、それにもしレイプ未遂が
あったのなら、雨とドロで服がぐちゃぐちゃに汚れてレイプ未遂の有力な証拠の一つに
なるのに、証拠として服は結局出されない。 だいたい1時間半の間、10人に
レイプ未遂を受けたというけれど、少女も含めて少年たち10人も1時間半も雨の中に
犯行を及べるのか、などの大きな疑問がありますが、検察側は 「降雨計はあくまで
場所が離れており、雨は局地的に降らない こともあるので合理的な理由にならない」
として、黙殺しようとしているそうです。

【二つの事件から見る日本の刑事行政と司法の闇】

 非常に長い文章になりましたが、本題はここからで、この二つの事件、姫路の
バラバラ殺人と御殿場の暴行未遂事件 は、前者が被告の主張ばかり通り被害者側の
主張を不当に受け付けない、後者が逆に被害者の主張ばかり通り被告側の主張は
不当に受け付けない、という点では一見、非常に対照的 ですが、非常に似通っている
のは、警察行政の捜査の不当もありますが、深刻なのは検察行政の真実を明らかに
するのではなく保身のために間違いを認めない姿勢、それに、特にこの二つの事件で
共通して深刻なのは、司法をつかさどる裁判所が、その警察行政、検察行政をチェック
できていない、むちゃくちゃなことが「国のやることの責任」に関わる問題となると、
司法はまかり通す、この権力分立が完全におろそかになっている恐ろしさだと思います。
最高裁のホームページに「最近の重要判例」が載っていますが、少年法改正後に
初めて「抗告受理申し立て」が行われたケースにもかかわらず、この重要判例には
載っていないのはいったいなぜなのかと疑問に思います。

 近頃は人権というと、特に刑事事件においては、「人権を主張する人権派とやらは
加害者の人権ばかり主張するが、その被害にあった被害者の人権を無視している
偽善者だ」と いう感じで、否定的にとらわれがちですが、もしそのような批判があると
すれば、その批判は部分的に間違いで、まず刑事裁判においては、「加害者」の人権
ではなく 「容疑者」の人権を守るべきだと主張されているのを誤解している点が
あります。「冤罪」というと過去の話の ように思われるかもしれませんが、先ほどの
御殿場事件の ように、現在も普通に起きかねないものです。何故さきほどの 少年たちが
そもそも全員「自白」をしたのか、というのは、 警察行政において、取調べで「聞く」
というよりも、取調べの前にすでにある程度の容疑者と事件事実のアウトラインを引いて
おいて、それに合わせるように「聞き出す」というのが 日常的に行われているのが
問題です。

 ただ、これ自体は警察行政の問題ではありますが、本来は 検察行政なり司法たる
裁判所がしっかりしていれば、そのような無茶をやっても跳ね除けられるはずなのです。
日本の刑事制度で最も深刻な問題は、検察行政は警察行政のいうことをほぼ
鵜呑みにし、裁判所は本来の原則である「推定無罪」よりも、どちらかというと
検察行政のいうことを信じがちであること、特に「国家」に関すること、先ほどの例では
検察行政の失態が明らかになるようなときには、検察行政の主張するようなことを、
国家の側に立った立場で、判断しがちだということ。これは非常に恐ろしく、
深刻な問題だと思います。

 姫路の事件の場合は、「被害者」の人権が大きく侵害される形で、警察行政も
検察行政も司法も進んでしまいました。被害者の人権を守ることは当たり前ですが
重大です。 しかし、そのために捜査や裁判上においての「被告」の取調べなり起訴と
弁論、判決と続く流れで、「事実」を 明らかにするのをおろそかにして、「とりあえず
起訴して とりあえず罪状をつけて、とりあえず量刑相場で量刑を 決める」といった、
「被告側」の防御権や「被害者」の人権を 軽視した、どちらかというと流れ作業的な
刑事政策を行う ことは、有罪率は高まるかもしれませんが、決して 被害者の人権を
守る、犯罪を抑止するものではないと 個人的には思います。

テレビ朝日朝日新聞社などへのいろいろな印象があるかと思いますが、
思想信条を別にして重要な事件だと思います。 どうか、偏見のない目で見て
いただければ幸いです。

※匿名掲示板です、よろしければご意見を頂ければ幸いです。
日本の司法の問題点と解決策について考える

http://yy45.60.kg/test/read.cgi/utopian/1170441983/



○後記
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