中露の「3つの戦端」の前提としての、「第0の戦端」での「鉄砲玉」な北朝鮮の危険性

 先日、金総書記がロシアを訪れたニュースがありましたが、中国と北朝鮮自体は元々関係が深いですが、ロシアとも、恐らくはソ連東欧崩壊時に核開発技術者、ミサイル技術者と、もしかするとプロトタイプとしての「現物」や必要部品、工作機械などが流出して北朝鮮に入った可能性は、かなり高くそれ自体はよく確定情報ではないにせよ、言われていました。

 ただ、その後のプーチン政権(メドベージェフ氏と交代交代に大統領と首相を繰り返していた期間も含めて)その政権誕生後以降、北朝鮮の核開発と弾道ミサイル能力は、こういってはよくない表現かもしれませんが、とてもではありませんが、少しソ連東欧崩壊時にヘッドハンティングに成功し、場合にっては必要物資類とともに流出させて手に入れたにしても、そのあらゆる国力に比して、異常ともいえる異例なスピードで、核開発も弾道ミサイル開発も進み、わずかな間に水爆とICBM製造まで達成してしまいました。これは、北朝鮮ソ連東欧崩壊時に手に入れた技術者や物資などによるものというだけで、説明が付くものなのでしょうか。

 恐らくは、少なくない方は、中国の支援もあるにせよ、核開発とミサイル技術に関しては、ロシアがプーチン政権誕生後のどの時期からかは私には分からないのですが、支援があって、それによってできたのがそれら現在の技術水準だったと思ってしまいます。では仮にそうだとしたら、中国ならイメージが湧きますが、ロシアは何故北朝鮮にそのような援助を、もしもあったとしたら、したのでしょうか。

 それは、私は最初、対アメリカにおいて、実際にアメリカまで飛ばせるICBMの技術までもわざわざ与えてまで、あの強烈な反米国家である北朝鮮アメリカ本土への核攻撃能力を持たせる、北朝鮮側は通常兵器の軍事力を北朝鮮の国力でどれだけ頑張って増強したところで、砂漠と山地や山岳地帯で違うにせよ、あのイラクですらあっけなく負けてしまった、しかも大量破壊兵器を本当に正直に真面目に放棄し破棄していたのに、ろくにちゃんとした立証も無く攻め込まれて滅ぼされサダム・フセインをわざわざ裁判に出し死刑判決を出して死刑にした、という悪夢のような父・子、両ブッシュ政権の残した「負の先例」が、加えればカダフィ大佐も同じように本当に正直に真面目に核開発をやめていたのに、滅ぼされ殺されたという「負の先例」があり、あれをみたら正直に核開発の放棄をするわけがないのは明らかと言えば明らかな、とてもごもっともな事でした、我々日本人にとっては、そんなアメリカのせいで完全に意固地というか無理にさせられてしまって、そう事情を考えると両者に腹立たしくなりますが。

 お話が逸れましたが、どちらにせよ核開発しか自国をアメリカかアメリカの支援を受けた何らかの他の存在にうまく滅ぼされて独裁者はちゃんと息の根が止められたのを確認されるまで追い詰めて殺して確認する、という、そういったのを恐れた北朝鮮には、国防方針としてはそれしかなかった、通常兵器の更新など後回しかそもそも投げ捨て、ひたすら先軍というか核開発最優先でやっていくしかありませんでした。

 しかし、ここで、北朝鮮アメリカに攻め込まれないためには、確かにアメリカまで到達するICBMまでも開発すれば、それはアメリカは文字通り撃墜できなければ、アメリカ本土で核爆発が起きる、と思えばそれは攻め込めませんが、そこまでやらなくてもイランのように、中途半端に開発途中で、ただイラクリビアのように言葉が悪いですがバカ正直に完全放棄すれば攻め込まない何もしないというアメリカの「約束」を信じる事をせずに、開発は維持する形での駆け引き、でも十分に攻め込まれるのを抑止できてしまっています。


 もちろん、イランの国土がアフガンニスタンの時のように完全制圧するために攻め込むには極めて地形的に悪い、仮に勝っても多大な犠牲が、その時の戦闘とその後の占領維持での残党軍との戦闘での被害が、とてもアメリカ政府には許容できる「アメリカ人の死」の数ではなく、それを強行してもまともに維持できない、という、第二のアフガニスタンになるだけなので、しない感じだというのがあります。

 そうだとそたら、これは地形的にある意味では似ていて攻め込みにくく、何とか首都は落とせても残党軍がゲリラ戦をしかけてきていつまでたってもまともな統治をできる政府やもしくは直接占領までしたって全然維持できないであろうことは明白だ、という北朝鮮なら、当然同じ事で、本来的になら、北朝鮮アメリカに攻め込まれないように核開発をしたくて核開発をするのは当然で、しかし、アメリカからの強い圧力のため、実際には核開発の途中の段階で小康状態というか、綱引きの状態というか、確かに圧力を受けそれ以上開発できない状態で膠着するのが、イランという北朝鮮にある程度地形など攻め落とすのにかかるコストが同じか、後に申し上げますが本来は高い、そういう例があるため、「何の影響も受けていないなら」、北朝鮮も、いいところまでいっても、黒鉛炉などの原子力発電所の建設までいくかいかないかで、頑張って行くのに成功したとしたら、プルトニウムの製造の段階をとにかく圧力をかけてIAEAを強引になんとか入れてストップの状態にさせそこで均衡するはずだった、はずです。


 なのに、「どうして北朝鮮はイラン以上に核開発もミサイル開発も達成してしまえたか」、それ自体はもう言うまでも無く、中国の黙認の上、もしくは一部協力しながら、でもロシア主導の直接的で強力な技術支援であるのは、そうでないと作れないほど弱い国力な北朝鮮が驚くほどのスピードで実際作ってしまったから、という状況が証拠になってしまうと思うのですが、それがどれくらいの支援だったのかは、惜しみない技術支援から、それどころかもしかしたら「プロトタイプ」になる「現物」なものまで提供したり必要なロシア製の部品や物資の運び込みまで、下手をするとするくらいの強力すぎる強行過ぎる支援を行った結果ではないのかと思います。

 長々と誰にでも想像できてしまう事で、そんなのはとっくに想像は誰でもついているが、その確たる証拠を示す事ができないから苦労しているんだ、ととても当然お気持ちの分かる事をおっしゃられるのは分かるのですが、実のところ、情報収集をして実際の直接的な証拠をつかんでみけられれるような力など私にはまったくなく、せいぜい新聞、テレビ、インターネットで見られる海外の記事や情報くらいで、とてもそんなことを立証する力はありません。

 ではどうしてこんなに長々としたのを書いて、何を言いたいのか。「どうして北朝鮮アメリカまで到達するくらいのICBMと水爆まで開発したか」が問題だからです。

 もちろん可能なら誰だってと、と言うと物騒ですが、どこの反米国家や、反米でなくとも、何の国内的国外的制約さえなければ、国防担当者なら予算的な面や実際の運用能力が自国で作れるなどの検討をした上ででしょうが、それさえクリアすればどこの国であっても国防担当者なら、「アメリカ本土に届くくらいのICBMと水爆」を持てるなら、持ちたいと思おう、特にアメリカに攻め込まれるのを心配している国家なら、そのさっきの「負の先例」としてのイラクリビアの例を考えながら自分の身を考えると、当然欲しいと思うでしょう。

 ですが、当たり前ですが、イランの例のように、核開発段階で監視されストップするよう圧力をかけられ、核爆弾を運ぶためのミサイルの開発だって、「何の援助もなければ」、ICBMが作れるほどの技術に達する前の実験の段階で強い圧力がかかり、作る事が事実上できない、というのが、長年イランが示してきた限界例でした。

 しかし、それがロシアの強力な主導のもと、もしかしたら中国も黙認だけでなく協力しつつ、ストップさせたくても、「北朝鮮が単独で核開発とミサイル開発をするならストップがかけられるはず」の速度を超えたスピードで、急ピッチに核爆弾とそれを運ぶ弾道ミサイル開発は、ろくに失敗することもなく、「できあがってしまいました」。

 原子爆弾、原子の核分裂反応での核爆発を起こす爆弾は、とても恐ろしいものです。そして、ソレを飛ばす弾道ミサイルも、数百キロも飛んで目標にあたって爆発させ、とても恐ろしいものです。
だから、原子爆弾、原子の核分裂反応の核爆発を起こす爆弾を搭載し発射されると数百キロ飛んで核爆発を起こせる核ミサイルは恐ろしいです。

 そうなのです、それは確かに、ものすごい強力で強行な支援があるから、その次の段階へ、さらにその次の段階へと、どんどん進めて、最終的に水爆とICBMを持つのは、それは持てるなら、先述のように、国防担当者なら欲しいと思ってしまうでしょう。

 ですが、「欲しい」と「充分」というのは違います。ある家、といっても、50坪くらいの、一般的な家よりはちょっと狭めかなという、家の人がいましたが、隣から色々ものが飛んでくるので、隣の家にはすごい嫌な顔をされ嫌がらせられ警察まで呼ばれながらも、なんと、とても親切な近所のひとが、作業を手伝ってくれて作り方も費用も出してくれて、3mの壁ができて、シャットアウトしました。これでもう、よほどのことがない限り、3m以上飛ばしてものを投げてくるなんて、まああり得ないだろうと安心できるくらいの高さの壁ができました。でも、その親切な近所の人は、まだまだ危ないしまだまだ壁は低い、いくらでも支援して高い壁を作らせて上げるから、作りましょうよ、といわれ、「まあ、壁が高ければ高いほど安全だしなあ」と思い、親切な近所のひとの手伝いもあり、自分では作れそうもなかった立派な5mの壁ができました。「これで安心だ」と思いましたが、親切な近所のひとは、「いやいや、色々と可能性がありますし、備えあれば憂いなし、壁は高ければ高いほど安全ですよ、といって手伝い、なんと最終的に高さ100mの壁ができました。

 ………これは、それは100mある壁なら、隣の家から何か飛んでくる可能性はゼロに近くなるでしょう。まあ、日照権というか、その家が完全に日陰になるから非現実的だ、というのは置いておいて、元々、「3mの壁があれば十分安全だろう」と思っていたのに、近所の親切なひとのごり押しを聞いて、「まあ壁は高ければ高い方が安全か」と、50坪の家に5mの壁、そしてその理屈でどんどんいったら、50坪の家に100mの壁ができました。それは「安全が欲しい」というのは満たしますが……その「近所の親切な人」がいなかったら、そこまで壁を作ったでしょうか?

 周囲はそんな壁が出来ると困ると行政に訴えたり差し止めの裁判を起こしたりとしようとしましたが、おろおろする家のひとを「近所の親切な人」が手伝って、まるで伝説の大工のように、ものすごいスピードで壁を作ったため、そういうのは間に合いませんでした。もし、家のひとが自分で作るなら、3m作るのがやっとで、それ以上は試行錯誤しながらしないと無理で、そんなことしてる間に近所の人が行政を呼んで、裁判所からは建設を一時中断するよう命令が出て、そんな100mの壁は夢物語なので、必要でもないし、まあ3mで十分だったのです。

 下手なたとえ話でしたが、そんな北朝鮮に身の丈に合わない水爆とICBMを、どうぞどうぞと作らせたロシアと、場合によっては中国も、何を考えてそんな援助をしたのでしょうか。

 本当に下手なたとえ話とかで長々となり、結論から申し上げればよかったのですが、早い話は今起きている事の布石ではなかったのか、つまり、「第一の戦端」でありロシアの「核心的地域」であるウクライナ、「第二の戦端」でありイスラムの「核心的地域」であるエルサレム、「第三の戦端」であり中国の「核心的地域」である台湾、それを、時間差を置いて多発させアメリカと「私たち」自由民主主義諸国に、三正面作戦をしかけること。それが前回書いたものですが、その前にひとつだけ、やれればやっておいたほうがいいと思っているであろう、「第0の戦端」があります。

 それはすなはち、まだ北朝鮮とは親密なだけで同盟関係にあるわけでない、ただ暗に強力に協力し開発させ持たせただけな、ロシアと中国が、「北朝鮮の暴発」として、第二次世界大戦後以降、タブーとされてきた、「核兵器の使用」という「負の先例」を作らせる「鉄砲玉」ではないのか。

 状況に応じて実際北朝鮮を暴発させるかはコントロールできる状態にあり、実際やろうと思えば暴発させられる状態にあるとみた方が良いのでは無いでしょうか。そしてもし、暴発させるべきタイミングがきたら………わざわざ水爆とICBMまで持たせたのです。恐らくがアメリカ本土だと思います、ですが、場合によってはもしかするとそれが撃墜される可能性が高いと断念せざるを得ないなら、「ご近所の北朝鮮の敵国」、つまり、日本、韓国において、ロシア中国の利益的なものを考えるなら、なるべくなら米軍基地群を狙わせるのではないでしょうか。

 先にやらかした北朝鮮は「またもや原爆が使用され多くの犠牲者を出した核使用国」として両陣営から批判される、といっても、中露など「新しい国連」勢力側は、「しかしかといって、北朝鮮にもやむを得ない軍事的圧力下にあったことは否定できない」と、完全否定はしないか、もしくは本当に鉄砲玉として切り捨てられアメリカからの報復核攻撃で滅ぼされるままにするか、どっちか分かりませんが、問題は「負の先例」、つまり、「核兵器の使用をしてはならない、というタブーを破る」というを北朝鮮に破らせれば、あとはタブーだったものは、破られていなかったから先例をつくらなかったからこそ、タブーであったので、北朝鮮核兵器使用という事実から中露は、何ら気兼ねなく、もしくは北朝鮮へのアメリカの報復核攻撃を待ってから、その後に、「アメリカも使用したから」と、それこそ本当に何の気兼ねもしがらみも掟も遮ることなく、「第三次世界大戦における核兵器の使用の解禁」をするのではないか、と非常に私は危惧しています…。。。。

バルカン半島的状態な中東情勢と中露イスラムの「新しい国連」

バルカン半島的状態な中東情勢と中露イスラムの「新しい国連」

 ハマス第四次中東戦争の事実上の開戦日である10月6日にイスラエルに対し、ロケット砲攻撃だけでなく、実際の戦闘員を進軍させイスラエル側に侵犯し多くの人を殺害して始まった、イスラエルハマスの「戦争」は、ただでさえ複雑な中東情勢、いわばウィーン体制の時のバルカン半島のような、「現代の火薬庫」としての中東情勢において、とても恐ろしい情勢を導き出す可能性があります。

 最近になりロシアのプーチン大統領の発言で「新しい世界秩序」という言葉が複数回出ている事が報道で注目されました。それが意味するところを考えると、2022年03月18日に書かせて頂いた<a href="http://utopian20c.livedoor.blog/archives/28396240.html" target="_blank" title="">「現在のロシアと戦前日本の奇妙な類似性と「新しいもう一つの国連」の可能性の恐怖」</a>に描いた「新しい国連」の出現がいよいよ現実味を増してきたのではないかと極めて強く危惧します。
 
 何故ならば、ロシア・ウクライナ戦争が始まった前後くらいから、親米であるはずのサウジアラビアを含めた中東諸国はアメリカから距離を置き始めたように思えます。それが何を意味するのか。ロシアがシリアと極めて親密な関係にあり、先日実際にロシアとシリアは合同軍事演習を行う関係性まで高まっています。その第四次中東戦争の参加国であったシリアと、アメリカから距離を置き始めた中東、石油という世界的に重要な戦略資源を握っている、中東とロシア、彼らがもし手を握ったとしたら、シリアが仲介する形でか分かりませんが、第四次中東戦争の参加国は特にイスラエルも対する憎しみが、間接的にアメリカへの反発心がある、その状態でロシア、そしてもしかしたら中国が、「アラブ側支持・反イスラエル」を打ち出したら、世界が「イスラエル側vs反イスラエル側」と二分された第一次世界大戦のバルカン情勢のような負の軍事的関係のビリヤードの結果が起きてしまう、その結果として、中露を、場合によってはインドも含めた、複数の大国とイスラム諸国やアフリカの複数の国家、南アメリカ大陸の反米国家が作り上げる、人口的にも面積的にも資源的にも、もしかすると参加国数的にも、それらの国々が脱退した現在の国際連合より、「国際的な」と主張されそのように多数派なため否定のしにくい、「第二の国連」が出来る可能性が極めて高まったと思います。
 
 ロシアと中国が手を握り、もしやるならば、同時に、ロシアは「核心的地域」であるウクライナ、場合によってはバルト三国、東ヨーロッパを含めた地域を、中国は「核心的地域」である台湾、場合よっては領有を主張し対立している東南アジア諸国、あと北朝鮮を取り込んだため韓国と日本を、同時多発的に攻撃して二正面作戦をアメリカとヨーロッパ、日本、韓国といった、私が言うとなんだが用語に反感があるのですが、自由民主主義諸国vs中露、という形になるはずで、連携していないから中国側からすればロシアのウクライナ侵攻は寝耳に水だったのか、と思っていました。しかし、同時に限らないでいいのならば、というより時間差を置けば軍事的には敵側、つまり「私たち」の戦略的配置が、あっちこっちと混乱するため有利である状態になると考えが変わったのは、「第二の戦端」である、中東地域という可能性が現実に起きてしまったからです。つまり三正面作戦を強いるつもりなのかもしれません。
 
 その結果、世界は下手をすると、中露、場合によってはインドを含めた大国と、イスラム中東各国、南アメリカの反米国家群、アフリカの中露の支援を受け親中露となった諸国群を合わせた国家群が、一斉に現在の国連から脱退する、もしくは名目上は脱退しないでかもしれませんが、いずれにせよ「我々の方こそ国際的な存在である」という、「第二の国連」の誕生が危惧され、その前後、「第三の戦端」である中国、ロシア、北朝鮮による台湾を核心としつつ東アジアと東南アジア諸国への軍事的侵攻が十分に開かれる可能性がある、つまり、アメリカに、アメリカとヨーロッパ、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカといった自由民主主義諸国vs中露と場合によってはインド、そして先述した反米新中露諸国といった形での、文字通りの「第三次世界大戦」が起きる可能性が否定できない確率になってきたと極めて危惧してしまいます。
 
 その場合、日本はどうするべきなのか…現在の日本政府は急ピッチにミサイル数千発や様々な軍拡を行っており、左翼な私としては軍拡には反対ですが、軍拡した後なり軍拡が阻止された後なり、どちらか分かりませんが、そのように「第三次世界大戦」が起きた場合…日本はアジア地域の「第三の戦端」の最前線で先兵となり尖兵となり最重要の軍事基地、「不沈空母」となるのか…。私は日本政府は、実際的なところ、そのような無謀なことはしない可能性があるかもしれないと思います。すなわち、アメリカとの関係で巻き込まれると思われた第三次世界大戦において、我々日本国は、日米安全保障条約上、参戦義務はなく、かつ憲法第9条における規定において、日本国領土が侵犯されない限りにおいて、「専守防衛」を堅持する……すなわち、第二次世界大戦での永世武装中立スイスのような、もしくはせめて第二次大戦時中立国だったスウェーデンのように、武装中立の形で日本を護ろうとしているのではないか。だとすれば反戦平和を本意とする私のような左翼には、全世界が戦争中の中、日本だけが武装中立の形で平和を維持するのは本意に反するかもしれませんが、私たち左翼はどちらにしてもは憲法第9条は、なおさら堅持するべき存在として、改憲に強く反対していくべきだと思います。


(自分での補足コメントですが、現代においてハマスセルビアの「黒手組」となってしまう可能性があり、後の歴史でそのようなことが言われる可能性があるかもしれないと思いました。)

ロシアの戦争と戦前日本との奇妙な類似点

〇はじめに

 ロシア軍が主権国家ウクライナを侵略するための戦争を行い、現地では凄惨な戦闘が繰り広げられています。

 

 ロシアの開戦理由と、その後の戦争の戦闘行為の中での戦争犯罪の問題もありますが、その前に、少し俯瞰させて頂いて、ロシアの論理も考えながらまず書かせて頂きました。その後、現在のロシアの、戦前日本との奇妙なオーバーラップ、共通する事を挙げさせていただきました。

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「反日」という言葉について左翼の私が考えてみた結果の長々しい文章

 【「反日」という危険性のある単語とその便宜的な定義の問題】

  近年になってネットで使われ、そして公然にも使われるようになった「反日」という言葉は、その言葉に、その意味が何かという問題と、またそれが敵対者に対してレッテルとし用い、そのレッテルを貼られたのを見た人を思考停止にされる、危険な言葉でもある。そのつもりはなかったのだが、思わず某所で論じてしまった文章について、訂正と加筆をしながら、述べさせて頂いてみたいと思う。

 

  ある種の人々は、不思議な事に日本共産党を「反日」という。一体何をもって「反日」と定義しているのだろうか。それを「日本に利益になる事」「国民が幸福になる事」という意味の事に「反する」つもりがないのだとすれば、もしもそれに反さない場合、実際はそうでないのにも関わらず、「反日」扱いするのでは、「反日」とか「親日」とか「愛国」とかそういう言葉を使う人間が、実に胡散臭くなるだけではないだろうか。

 

  私は全然中立でもなんでもないし、率直に言えば今までの記事にあったようにずっと共産党を支持していて、さらに率直に言えば、自分では自分の事を左翼だと思っているので、全然中立ではないのは当然なのだが、下に書かせていただいた文章を、いざ書いてみると、何故か慎重になって論調が中立かのように見えてしまった。私自身は偏っているので、その面を割り引いて頂ければと思う。

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はてなダイアリーから、はてなブログに引っ越しをしてきました。(&後日載せます的なこと)

   実は、今日、ヤフー・ニュースで「はてなダイアリー2019年サービス終了」というのを見て、引っ越しははてな同士だから、大丈夫だろうと、思い切ってそのまま、はてなダイアリーから、はてなブログへの引っ越しをしてきました。

 

  デザインの選択で、色々なレイアウトとかを選んだりして、プレビューしては消しを繰り返し、はてなダイアリーの方で使ってた背景のとブログタイトルのバナーとを、それぞれ色々なプレビューで試し、どうも前のと似たようなデザインにするのは、あまり知識がないので無理っぽいと思いながら、とりあえずのデザインを決めました。

 

  はてなダイアリーの頃から来て頂けているかた、はてなブログを、書く側のブロガーさんや読む側の来てくださるかたの、どちらのかたも、この度引っ越しをさせて頂いて、住民に加わりました、どうぞこれからもよろしくお願いします。

 

 

(&後日載せます的なこと)

 

  単に今日、以前書いたのを一部書き直そうとしたら、脱線しすぎになり、無理だったので後日改めて違う記事の形で全然当初と違ったタイトルになりますがおそらく載せますというだけで、大した事ではないのですが、実は5月31日の、「少子高齢社会に対する意図的な無策という犯罪的行為 - Brave Old World at はてな  」 という記事を、デザインを色々変えたりいじりながら、最新記事なので毎回それを見ているうちに、ちょっと色々全然足りていないし、あまり公正でないかもしれない、と思い、最初は書き直そうかなと、手をつけ始めましった。

 

  当初、その記事内で挙げられているような、そういう具体的な政党名とか政治傾向の人の名称は出さずに、「20年くらいは前から言われていた少子高齢社会化問題に対して、本当は企業とかも必要性を認めざるを得ないのが資本主義での要請として、企業側がしぶしぶであってもある程度納得して応じるような理由というか原理というかが、本来は実は存在し、20世紀はそうだった訳で、21世紀に少子高齢社会になるのが予測できていたのだから、そう対策をやむを得ず必要だから、原則的にはできるはずだったのが、それが実際は、グローバリゼーションと新自由主義の問題から、そうならない形になった」的に、そう始まって書き始めたのですが…もう、どツボにハマって、恐ろしいほどの長文になり、終わりが見えてこなくなり、論点やテーマや脈絡が不明になるような状態で、さすがにもう日付が変わったから、今日は元の5月31日の記事は、やっぱり書き直したのは元に戻して、違うタイトルの記事でちゃんとまとめて書こう、と思いました。

 

 

 それだけのお話が「&後日載せます的な事」の内容だったのですが、そういった話題だったのが、グローバリゼーションから新自由主義で資本主義での要請とか、そういうのを書いていたら、個人的には自称で一応は、社会主義なり社会民主主義なり民主的社会主義なり経済民主主義なり、色々な形で色々な文脈をそれぞれ、勝手に拾い上げて勝手に繋ぎ合わせたものを主義にして、勝手に左翼の一種のはずなのだろうと、勝手に自称している感じな左翼です。

 

  そのため、何だか、今どき流行らない中二病のはずとはお思いますが、まるで左翼にかぶれた知ったかぶりの中二病的な人風に、「高校の政治経済か倫理の教科書でマルクスの解説ページを見て単語だけ知知り、多分資本論とかで使われてるっぽいと単語をそれっぽく使ってみました」的な内容になりつつあり、収拾がつかなくなってきて、今日は無理だし、せっかく書いたのだから、何とかまとめて、せっかくだから記事としてでっち上げよう、とメモ帳に保存して力尽きました。後日、需要は多分まったくなく、読まれるかたはいらっしゃらないかと思うのですが、載せさせて頂ければと思いました感じでした。

 

 

  ……そう、「内容ぐちゃぐちゃな長文になったので後日載せます」の一言で済むのに、長ったらしくこの記事を実はもっと長い、書きかけの内容を説明した内容を書き、これはダメだ、と消しました。これで十分長ったらしいと思うのですが、一応半分くらいに削減した結果で、どうかお許し頂ければ幸いです。

ユートピアかディストピアか

  「AI革命」と「労働力の補助」として、AIとロボットの時代だという言葉が聞かれ、これは20世紀に思い描かれていた、人間は働く事を必要とせず、ロボットにすべての労働を任せ、自由な人生を歩める、といったユートピア像が実現しそうなように見えてくる。


  しかし、そのような一見ユートピアが成立するような、労働力をAIやロボットに置き換える場合に問題になるのは、まず、そもそも、そのAIとロボットの所有権は多くの人には無く、ほとんどが、いわゆる1%の富裕層が握る事になる、という事だ。


  つまり、AIとロボットというと言葉が近未来的だが、基本的に単に生産手段と労働力が、AIとそれの指令に従ったり自律的にAIを持ち動くロボットが生産手段となり、その所有者は1%の富裕層であり、そのAIとロボットによるもののような、第四の産業革命で生まれる富を、1%の富裕層が国民に分配する理由もない、という問題がある。


  そして、その生産手段で創られた価値を持った商品は、もはや労働力を売る場所がどんどんと縮小され限定的になった時代には、いわゆる労働者、もしくは従業員でも会社員でもいいが、99%の人にとっては、労働力を売る市場が縮小するため、商品が買えない、という状況を生み出す可能性がある。その場合、一体誰が「商品」を購入できるのか。


  恐らくは個々の資本家、もしくは「資本」の運動原理でも、そのような「労働力を究極的に削減する事によるコスト削減での利潤追求と、労働力が究極的に削減され労働力を売る事ができない、文字通り【根無し草】の99%の人間が、そう製造された『商品』を買う事ができないという矛盾」の事を全然想定せず短期的な運動を繰り返す事しか考えていないのではと思う。


  個々の資本家に善良な人は居るし、それを危惧する人がいるかもしれないが、個々ではそれを理想主義的に、例えば新しいユートピア的共同体を創るとしても、ニューラナークのように失敗する可能性はかなり高いし、結局は根本にあるその究極的な矛盾に衝突することになる。


  一般的に、「生産手段の発達による生産力の発展」とその「生産手段を用いた生産関係」の矛盾は、かつてのマルクスが言った、史的唯物論的に、そう生産関係が、生産力の妨げになる時、革命が起きるという事が言われているが、そう、革命が起きてもおかしくないような、極めて大きな矛盾が起きうると個人的には思う。


  しかし、そういった「革命」、そこまでいかないなら政治による解決といった「政治の季節」のようなものが起きなかったとしたら、もしくは、「『政治』、『民主主義』という不確定的な予想の難しい要素」を「生産力の発展など、資本の発展と運動の足かせになる」と、1%の資本家だったり、もしくはそうでない存在だったりが判断した場合は、最近は「レガシー(遺産)」という言葉が用いられているが、その名の通り、民主主義やその思想から派生するものは「遺物」として、急激に投げ捨てられる危険性がある。


  少なくともこの文章を書いている2018年1月までに、政治の舞台では予測がつかない事が立て続いた。それが、ブレグジットだったり、様々な無益な戦争や紛争だったり。トランプ大統領の当選だったり、そういった予想がつかない「非合理的な」結果になることは、そういった「ローカル」な「政治」での不確定性での混乱があった。


  グローバリゼーションが終わったか終わってないか分からないが、少なくともグローバル企業は多数存在している中で、それらを所有している1%の資本家が、「民主主義やその思想によるものの政治は、推測できず合理的でなく経済原則に反した非合理的な選択をしかねないシステムなリスクファクターに過ぎない」と判断した場合、本当にそれらは「レガシー」として、文字通り瞬く間にひっくり返されて、民主主義や、その思想である基本的人権などそれらの思想でない、とても良い結果となるとは思えない、「政治の終わり」の結果になりうると思ってしまう。


  一体、「政治の季節」となるか「政治の終わり」となるか、分からないが、そういった矛盾、「生産力が爆発的に増え、生産手段の所有者と、その生産手段で生み出された価値の所有者が1%の富裕層にあり」、「生産関係が崩壊し、労働力が不要になることで、大多数の人間が労働力を売る事で以前はお金を得て商品を購入していたのに、できなくなる」という、「商品を買う主体の消滅」と、「商品市場の究極的縮小」と「商品の爆発的な量の効率的生産」という、とても矛盾に満ちた事に直面するのではないかと思う。


  ただ、先述のように、各資本家だったり企業がそう生産力を上げ、人間から労働力を購入する事を辞めるのを、と進めていくと、「商品は膨大にできるが、買う人がいない」という結果になるので、どうしてもそこで、仮に近代民主主義などを「レガシー」として放棄し「政治の終わり」となるか、しかし、なりふり構わない抑圧で矛盾を押え付けようとしても、矛盾は根本的には解決されない問題として、「政治の季節」として矛盾が解消されるまで残る事になる。


 さらに言えば、「資本の運動」には、必ずしも資本家などの人間形態などは必要ない。もしもAIが法人と結びつき、今以上の法律上の権利の保障がなされれば、1%の富裕層という人間主体すら必要としない。合理的判断が成されない可能性がありAIに拒絶される可能性があるのは、民主主義での主権者である人々だけでなく、1%の生産手段たるAIとそれが生産する生産手段を所有する資本家という人間存在もまた、リスクファクターでしかない。法人名義で所有され、法人が自然人を必要としなくなったら、1%の富裕層すら排除されるかもしれない。そうなると、ただただ、人間が労働力を売る事ができず、買うお金が無く買えない商品ばかりの市場で、恐慌と好景気を繰り返しながらの資本の運動が複雑な形で繰り広げられる中で、しかし長期的には資本の自己増殖で無限に発展していく、人間主体が無いゲームとしての資本主義、などが起きる可能性がある。


  その大きな矛盾の極みの時に、果たして「政治の季節」の再来になって、「革命」などの変動が起きるのか、現代では思い付かなかった何かしらの変動が起きるのか、分からないが、少なくとも、今のまま進んだ場合、あまり良くない結果になるのが予想でき、今はまだそうなっていない、というのを考えると、別に「革命」が起きたり起こしたりなのかは置いておいて、せめてそういった地獄のような矛盾とならないように、人間が人間であり理性的な存在として長い歴史と思索の中で産みだして来た、民主主義や基本的人権や哲学・思想が「過去の不要となって放棄されたもの」、「レガシー」とならないよう、近代民主主義やその周辺の思想である、基本的人権などの思想や、自由や平等や様々な政治哲学的成果を守っていくのは、今私達ができる、精一杯の事ではないだろうか。
(何だかよく分からない結論になりすみません・汗)

暗号通貨について思う事

  もうずっとブログをサボっていてすみません…前にも思ったのですが、「かえって『間違いがないように、色々調べて学んだ上で完璧に書かなきゃ』と思うと、僕の場合は長続きしないようです…。。それなので、今ですら不確かな裏付けと不十分な知識しかなく書いているのに、さらに不確かで不十分になるにせよ、書かないようはマシなのかも、と思い、ちょっと気持ちを楽にしてブログをしようと思うようになりました。


  今、極めて日本の政治において、憲法をないがしろにするどころでなく破り立憲主義も守らず、そして民主主義すら放棄しようとしている中で、色々書かせて頂きたいのがあるなとは思っているのですが、何故か久しぶりに書いた内容が、時間がもう5時ですが、2,3時くらいになんとなくメモでまとめていたら、こういう内容になり、全然関係ないものですみません(汗)、

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  あまり詳しい訳ではないが、突然書きたいと思ったので、書かせて頂くと、恐らく、今、よく話題となっている暗号通貨は、まず総量をビットコインなら1600万枚と限定して「希少性」を持たせ、そしてブロックチェーン技術での改ざんができない存在であると「信用性」を持たせ、「mining」の名の通り「Gold」の持つ「希少性」と「信用性」を持たせ、「採掘」後もそのブロックチェーンの相互チェックとなどが利益になる事で、途切れる事がなく回る事で、成り立たせようとしていると思う。


  しかし、「Gold」と違い新しい暗号通貨をいくらでも作れるので、単に例えば今メジャーなのはビットコインなのでそれを例にすれば、それが「メジャーである」だけでは「希少性」も「ビットコイン内で存在する有限性」でしかないので、他に産まれる新しい暗号通貨が林立する事で、Goldと違って「希少性」は低くなり、また、「暗号技術の高さ」は確かに「信用性」を多少高めるかもしれないが、しばらくしてそれと大して変わらないかそれ以上の暗号技術のものが産まれるとすれば、結果的にどの暗号通貨も「信用性」で極端に差異はないとなって、そう暗号通貨が新しく産まれるたびに、「希少性」が減りと「信用性」も他のとあまり変わらないため決定的なものではなく、「その価格が大きく変動せずに価値を保存してくれる」という意味での「信用性」も低くなる。


  暗号通貨は、中央銀行による発券や政府の介入など通貨システムでの中央集権性を覆す画期的なアイデアで、それを設立した人もおそらく、そしてそれ応援していた初期の人は特に、その非中央集権的な、分権的で自由な存在を愛するからこそ応援していたのではと思うが、ただ、「信用性」が「ブロックチェーンの偽造のほぼ不可能な事による信用」で、価値自体を裏打ちする「価値があるから信用がある」というものでなく、裏打ちする存在も居おらず、中央銀行のように何かあった場合、「責任(もちろん中央銀行が責任を放棄した例はあるが)」を持つ存在がおらず、例えば1ビットコインはGold何グラム分か、というのにはとても難しい。


  Goldに相場があり価格や価値の変動があるにせよ、「他にそれ以上適切な、信用性と希少性での価値・価格を持つ溶かして固めたりして分割が自由にできる物質」がないため、底が見えない価格の暴落もなければ、それが流動性は低く通貨に十分信用性があれば、希少性はインフレやデフレの抑制がされれば、通貨で事足りるので、実際に持ち歩くのは現実的でないのもあり、極端に天井知らずの上がり具合を見せる事はない。


  それに対しビットコインなど暗号通貨は、それ自体がある意味で本当に純粋に市場価格で変動し、市場価値は現実の中央政府の通貨との交換比率であり、交換価値を極めて具現化して媒介するにしても、流動性は「通貨」並みかそれ以上に高いものの、媒介しようにもその基準となるのは、実際の中央銀行発行の通貨との交換比率で、その交換比率は少なくとも今現在は投機もあるので極めて大きく上下しているため、とても価値の尺度とし価値の貯蔵をしようと思う「信用性」が無い。


  逆に言えば価値の保存、つまり、世の中の、価格ではなく価値では、過去の労働により産みだした価値がかなり大きく占めると思うが、それが保存される存在として選ばれた場合は、価値は蓄積していくので、蓄積していった価値で、「信用性」も産まれるかもしれないし、だからこそ、数少ない「信用できる交換を媒介するもの」として、「希少性」も産まれるかもしれない。ただ、人々が労働力を提供した結果得られた賃金を、暗号通貨でもらって、暗号通貨に貯金しようと思う人は、今の段階だからこそ想像できないだけか頭が古いせいだからかもしれないが、居るように想像できない。少なくともそうなるまでには、金貨銀貨といったものから、金本位制の兌換紙幣、そして今現在の不換紙幣となるまでに、かなりの時間がかかったのを考えると、もしそうなるとしても、そう暗号通貨が「価値を保存する存在」という「信用性」を持つには、相当な時間がかかると個人的には思う。


  それに加え先述のように、今現在は投機の状態だからだと言われるが、投機が収まったとしたら、1ビットコインが1億円になる、などの話を言っている人の話を聴くにせよ、それは先ほどの「ビットコインしか存在しない場合で、1600万枚しかないため、それを現実に流通している中央銀行の通貨と置き換えた場合」だろうし、先述のようにその「希少性」はビットコイン以外の暗号通貨が林立する事により、薄まり、それが暗号通貨が林立する上限の数というものが、理屈の上では存在しないので、果たして十分に「この暗号通貨なら、価値を保存する存在と認める事ができる」と思えるほどの暗号通貨ができるかは、林立する暗号通貨の数がいくつになるか分からないし、どれだから安全という保証もないので、分からない。


  そういった場合に、提唱者と、特に初期の応援者であった方達が思い描いていたような非中央集権的なものでない、少なくとも何らかの裏打ちのある価値と信用にリンクする必要があると思われる。果たしてそれが何なのかは分からないが、ドルかもしれないし人民元かもしれないし、ユーロかもしれないし、円かもしれないが、そうなると通常の電子通貨とそれほど変わらなくなってしまう。確かに各通貨同士を媒介する存在とも言えるが、媒介をするといっても各通貨の相場変動に合わせる形になり、もし一つの通貨に依存する形に信用性と希少性をつけようとすれば、あまり意義があるとは思えない。


  あえていれば、例えばIMFのSDRは、外貨準備高が尽きた時のために各主要な通貨をプールしておいて行使しその欲しい通貨を引き出すものだが、ここで見方を変えるとSDRは、通貨バンケットによりリスクを分散した金融商品とも言える。それとリンクする事ができれば、ある意味で世界通貨になることができてしまう。


  といっても、SDRは各国に分配されているもので、IMFが勝手に発行したり分けたりするものではないし、現実的には複数の信用性がある金融機関が、おそらく最初は単独にしても、結果的には複数の金融機関が合同で、その資産や極めて複合的に持っている債権や商品で、信用性と価値を担保して、暗号通貨を発行する可能性が高いかもしれない。


  実際日本でもMUFGがそうしようとしていると聴くが、結局は一国に頼らないで済むリスク分散とか新しい金融商品とか、そういうものになって、「採掘」して「掘り当てた」り、非中央集権的に相互が保証し合って、そして相互に維持する、そして当初の理念とは程遠いものになる可能性がかなりあるかもしれない。


  どちらにせよ、お金が余っていて「たくさんあるお金のうち、一部をリスク分散のために」と回すかたは居るかもしれないが、まだ少なくとも私のような気の小さい人間は、投機目的にせよ実際店頭で買う手段として持つにせよ、不確定な事が多すぎて、手がだせないように思える。