Twitterの内包する潜在的危険性-「新しい群衆」の誕生?


  Twitterは「つぶやき」である、と前回の投稿で表現させて頂きましたが、
実際のところ、「口コミ」として用いられている面が大きく、それが単なる「つぶやき」という
一方的なものではない、というのも事実でもあります。

  相互的なコミュニケーションとしても用いられるTwitterですが、それは本当に「ネット」という
文字の通り網の目のようで、全てが連関しているもので、昔の人間の口コミもある程度の
伝播性を持っていましたが、リツイート(RT)という機能が多様されることにより、
その情報の伝播性は極めて高く、瞬時的にもなっています。

  先日、北朝鮮が韓国沖合の島を砲撃するという事件があり、その時にTwitter
行っていましたが、そこにおいては極めて情報が錯綜し、動揺をかなりの人々がして、
様々な言論が交わされていて、私も混乱し自分の思う考え、想定しうることなどを
投稿してしまいましたが、ある方が「もっと冷静に、情報の確実性を確認してから論ずるべきでは」
とおっしゃられているのを見て、確かにその通りだと思うとともに、私は以前から
Twitterに関して思っていた、Twitterという伝播性の高く匿名性もある程度ある
メディアにおける、デマの発生やアジテーションによる集団パニックの発生の危険性を
思い出し、私もまた、そのデマの発生に関わってしまったことに愕然としました。



  口コミでのデマとアジテーションによる集団パニックの例としては、
戦前の関東大震災の時の、朝鮮人の方々に対する自警団による大量殺害行為が
あるかと思います。大震災が起きた直後、「朝鮮人が暴動を起こし、井戸に毒を入れて、
放火して回っている」というデマが、どこから発生したのか分からないですが生じて、
結果、当時の国会議員の調べた統計で約2600人の朝鮮人の方が殺害されてしまった、
というのは、レイシズムが根底にあったことや、朝鮮人の方々が日韓併合に関して
不満を持って憎悪を持っているのではないか、ということが、心理的バックグラウンドにあって、
のことかもしれません。


  結果的には、朝鮮人の方による大震災時の犯罪の認知件数は、殺人2名、放火3件、
強盗6件、強姦3件で、実際のところ日本人での犯罪発生率と代わりがなかった、
むしろ殺人に関しては先述のように2600人もの殺害を行ってしまった、という
結果になってしまいました。


  その他、口コミによるデマでの集団パニックの例でよく引き合いに出されるのは
豊川信用金庫事件ですが、その事件は女子高生の何気ない、雑談での冗談が
発端となったものでした。その雑談での冗談が、口コミという形で伝えられていくごとに
確信性を持って断定され、さらに情報ソースのない憶測が事実として情報の補強がなされ、
結果的に5000人が豊川信用金庫に押しかけて取り付け騒ぎが起きる、という
事件が起きたものでした。


  当時は、大蔵省の護送船団方式によって金融機関は保護されて金融自由化後の
現代では当たり前になってる銀行の倒産が起こりえず、「失われた20年」という、
現在進行形の経済の衰退ではなく、高度成長期の後期に当たる1973年という
時期であったのにも関わらず、そのように多数の人が「豊川信用金庫が倒産するかもしれない」
まことしやかに信じたのは、極めて衝撃的なことで、取り付け騒ぎに参加したのが
5000人というだけで、実際は半信半疑も含めれば、信用に値する情報だと思った人は、
かなりの数になるのではないか、と思います。


  元々古典的な「群衆」概念は、オルデガ・イ・ガゼットの否定的な群衆論もありますが、
エリアス・カネッティの群衆論を用いれば、個人個人がそれぞれ存在している中、
何かしらの要因が加わって、ある臨界点を超えると、個人が「液状化」し、群衆が生じる、
とされます。そして、群衆とは第一に「群衆はつねに増大することを望む」、
第二に「群衆の内部には平等が存在する」、第三に「群衆は緊密さを愛する」、
第四に「群衆はある方向を必要とする」というものがあり、これは極めて的確で、
カネッティはさらにそれぞれのその大小の差によって、さらに「迫害群集」「逃走群集」
「禁止群集」「顛覆群集」「祝祭群集」の五類型に別れる、と論じています。
「迫害群衆」は、スケープゴートなど、方向性が強いもので、先述の関東大震災での事件が
これに当たるかと思います。「逃走群衆」は災害などで見られる、例えば火災の起きた
映画館で一斉に人々が出口へ殺到するもので、ここにおいては、増大と緊密さが、
「みんなが向かっている先だから安全だ」という権威付けにもなるということがあり、
これは豊川信用金庫取り付け騒ぎが例としてあるかと思います。


  そのように、民族対立的など、心理的バックグラウンドの火種のあった
関東大震災のケースだけでなく、あまりバックグラウンドのなかった豊川信用金庫事件の
ケースなど、口コミでのデマとアジテーションでの集団パニックは、
正直、いつ、何を元にして、何を原因として、何に対して、何が起こるか分からない、
というものであり、口コミの手段としても広く用いられているTwitterは、
楽しいツールであるとともに、いつそのような人間が持つ集団心理、「群衆化」を
引き起こすか分からない、という危険性、恐怖が、古典的な口コミとは違い、
コピー&ペーストとリツイート、その「リツイートされたもの」ということによる
権威付けが、実はリツイート時に部分的なり全面的なりで改変されたものである
可能性を忘れさせる危険性がある、など、様々な現代的な危険性があると、
個人的には思います。


  考えられる危険性としては、政治家や企業経営者、学者、芸能人、知識人など、
様々な著名人という権威のある存在からの何気ない発言、例えば「Aかもしれない」という
発言が、リツイートや「○○さんがAかもしれない言っていた」というツイートにより
爆発的速度で伝播していき、情報が「Aらしい」から、「Aだ」に代わり、「BでAだ」
「CでBなAだ」と付け加えられていき、最終的には「みんな」が思い込みたい情報に
合うように情報が予定調和的に整形させられ、「DでありCでBだ」と、
元々の情報とはかなり異なる内容になりえて、その情報が著名人や
様々な報道ソースやネット上の情報による権威付けがなされて
真実かどうかの検証がなされず一人歩きしていく、といった現象がありうる、
と個人的には思います。


  そのような、孤立したスタンドアローンである個々人の口コミが、コミュニケーションする
うちに無意識的にゆるやかにその群衆化して全体の総意のように形成されていき、
その形成された「全体の総意」という権威に個人が従うという現象が起こりうる危険性が、
士郎正宗の「攻殻機動隊」において、「スタンドアローンコンプレックス」として描かれています。
私はそのスタンドアローンコンプレックスについて、あるお友達の方からお聴きしたので、
自分で思ったわけではないのですが、wikipediaでの「スタンドアローンコンプレックス」
に関する記述をそのままお借りすれば、


作中における電脳技術という新たな情報ネットワークにより、独立した個人が、
結果的に集団的総意に基づく行動を見せる社会現象を言う。孤立した個人(スタンドアローン
でありながらも全体として集団的な行動(コンプレックス)をとることからこう呼ばれる


これは個人が電脳を介してネットを通じ不特定多数と情報を共有することにより、
無意識下で意識が並列化されながらゆるやかな全体の総意を形成し、
またその全体の総意が個人を規定するために発生するという、高度ネットワーク社会が
舞台であるが故に起こり得る現象である。



 という現象であり、twipicや短縮URLサービスによるweb上の情報リソースなどを
付加できるようになったTwitterは、まさにこの現象を起こしうるのではないか。
その結果、古典的な群衆論も踏まえた上で、インターネットという情報伝達手段により、
「新しい群衆」が誕生するのではないか。Twitterの場合はリツイートなどや、
アカウントが実際の問題としてフリーメールで作ることができるように、
ある意味では匿名性が掲示板よりも高いので、流言飛語や風説の流布
責任が問われにくく、不確かな情報を伝えることに関する重み、自覚がなく、
また口コミとは異なって、複数アカウントでの自作自演も可能、ということで、
作為的にデマやアジテーションで集団パニックを起こすような事件が起きるのでは、と
懸念を抱いてしまいました。個人的には、これから先も楽しいコミュニケーションで
問題が起きないのを願うばかりです。。


AX



○後記
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