私の9条論

  新年明けましておめでとうございます、2006年はあまり明るいニュースがありませんでしたが、
今年はどんな年になるでしょうか。


 タウンミーティングのやらせ問題など、不透明なものをかかえながらも改憲への動きはとまりませんが、
改憲論者の方の主張のひとつとして、自衛隊違憲状態にあるから、憲法を改正して合憲にしなければならない、
ということがあります。他方、護憲論者の方の主張のひとつとして、自衛隊違憲状態にあるから、
自衛隊を解散するべきだ、ただし十分な移行期間をおいて、ということがあります。


 私は改憲には反対で護憲を選びますが、ただ、国民のみなさんは、護憲論の自衛隊に関する政策が、
いまいち歯切れのよくない、自衛隊を本当に解散する気なのか、そんなことをすべきなのか、と思われて
いるのではないでしょうか。


 護憲論一般の意見といえるか分かりませんが、あくまで私の私見ではありますが、私のそれらに関する
問題についての考え、9条論を申し上げる事ができればと思います。


 あくまで私の個人的な考えですが、私は憲法を堅持しつつ、他方、9条堅持をしながら自衛隊に関しては
合憲という憲法解釈を取る立場です。

 
  これは一見、「何故護憲派なのに9条堅持なら自衛隊を廃止にしないのか」といわれるかもしれません。
実のところ、私たち左翼がいくら平和憲法を支持しようとも、私たちが支持するからといって、確率論の大小
に関わらず、他国などや武装組織などから攻撃を受けたときに、「国民に9条の理念を守るために死ね」とは
私は言えないと思いますし、他の護憲派の方もその点は同意してくださるのではないでしょうか。
 よって、軍事力自体は現時点では必要であると思います。


   しかし、では何故改憲して憲法自衛隊の明記なり、せめて自衛権の明記ですら、しないのかといえば、
それは私は憲法9条のかかげる積極的非暴力平和主義を支持するからです。つまり、小泉前首相は
自衛隊憲法上の解釈論争を「神学論争だ」と切って捨てましたが、そうではなく、社会党があった時代に
さんざん行われてきた、「自衛隊」を解釈改憲で維持しつつも、解釈でしかなく、それ以上はみでないよう
常に絶え間なく続く平和主義による監視の関係、ちょっとイメージをお借りすれば、丸山真男
「民主主義の永久革命論」のようなイメージの、いわば「平和主義の永久革命論」を行っていくことを望みます。


 そして革命のあかつきには、つまり世界を積極的非暴力平和主義に基づき、貧困や差別やその他対立を
日本が能動的に解決する役割を担って解決して、結果世界が軍備を放棄してもいいような、
軍備を持っている事だけが残っている「戦争の原因」となったなら、そのときに日本が世界に先駆けて
率先して軍備を放棄すれば、そのような想定している段階の世界ならば、他の国も軍備を捨てることに
同意して、一国平和主義ではなく、世界平和主義となるでしょう。


 ただ、もちろんそれは相当な期間をみなければなりません、しかし自衛隊、もしくは世界各国の「軍備」が
越権したりむやみに拡大したりしないよう、国民はこのある憲法9条を武器として、おさえこむ、
その緊張関係の上で許される軍備です。また現在のように日本だけが自分のところので軍拡の監視や
越権の監視をするだけなのでは確かに一国平和主義でしょう。


 理想は世界の人々、市民と呼んだほうがいいのかもしれませんが、市民が、平和主義の理念を元に
国境を越えて連帯して、各市民が自国の軍を監視すること、そのような緊張関係のモデルを世界に
先例、模範としめすための9条、としてできればと思うのですが、いかがでしょうか。。



○後記
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