「反社会的行為」とは何か・・・省庁令による解釈改正の恐怖

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◯「2次元児童ポルノ」規制条例で都議会民主が代案提出を検討、議論長期化も

子供の性行為を描く漫画など「2次元児童ポルノ」の規制のため、東京都が可決を目指す青少年健全育成条例の改正案で、
都議会最大会派の民主党が9月議会への審議継続と代案提出の検討に入ることが20日、分かった。6月議会での可決を目指す
自民党などとの話し合いが不調に終わったためで、民主党は改正案が規定する「非実在青少年」などの定義について
見直しを図るとしている。

改正案は、漫画やアニメなどに登場する架空の18歳未満のキャラクターを「非実在青少年」と規定。
これらのキャラが「みだりに性的対象として描写」され、「性に関する健全な判断能力
の形成を阻害」する作品は、
青少年に販売しないよう業者に要望。また近親相姦(そうかん)など「反社会的な行為」が含まれる際は青少年への
販売、閲覧を禁じる「不健全図書」に指定する。都議会関係者によると、民主党は20日、原案のまま6月議会での
決着を図る自民党と話し合ったが、議論は平行線のまま決裂。民主党は今後、条文のあいまいな表現や用語の定義を
明確化させた代案の提出に向け、改正案に反対する、ちばてつやさんや里中満智子さんら 著名漫画家の都議会委員会への
参考人招致を検討するという。

改正案をめぐっては、ちばさんや永井豪さんら漫画家のほか、作家などで作る「日本ペンクラブ」(阿刀田高会長)も
反対声明を出すなど都に抗議が殺到。都側は「条文の中身が誤解されている」と火消しに躍起になったが、
3月議会では審議不十分となり6月議会に結論が持ち越された。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100420/crm1004202017027-n1.htm
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 ・・・という改定案が出されているようですが、「非実在青少年」とは何なのかの定義が
果たして法文上でできるのでしょうか?また「反社会的行為」とは何なのか、具体例の羅列なら、
「説明」としては成り立ちますが、「立法」としては、具体例を「説明」で羅列していても、
「立法趣旨」というものが、必ずしも尊重されていない日本の司法制度を考えると、
あまり意味のないもののような気がします。


 こういった表現規制の問題において、大きな問題の一つとしては、いくら『定義』をする、
といっても、よほど厳格な『定義』を行わなければ、司法府がその法文の行政府による解釈と
民主主義によらない省令、この場合は警視庁になるかと思いますが、それらの省庁令によって
比較的自由に、制限できてしまう、行政府、この場合警察行政のの暴走を、立法段階で止めるのは難しく、
安易な立法をすると、裁判に何年もかかって事実上泣き寝入りするしかない、
司法府の場での解決しか方法がない、という問題があります。


 このような日本の省庁令に基づく法解釈と行政というものは、非常に危険なもので、
警察行政の恣意的判断によっていくらでも、「立法趣旨」から外れた判断と規制を
行うことができることが問題です。まして、「反社会的行為」などという、児童ポルノ規制から
逸脱しかねない概念まで用いる事は、児ポ法反対運動ですら、警察行政から見ると
児童ポルノを擁護する反社会的行為」と見られかねません。なんとしても、民主党に対して、
安易な立法、特に「反社会的行為」という概念をやめさせるよう、働きかけるべきだと思います。


 もちろん、一般的に「反社会的」な内容、強姦や四肢切断、殺害、拷問など、いろいろな
倫理的に問題のある行為があり、それらを表現する作品を「表現の自由」として、許容していいかどうか、
という問題があるかと思います。しかし、これらの「表現の自由」の問題は、安易に規制して
いいものではなく、何が法的規制に妥当か、ということでは、保護法益が大きい事

だと思います。


  しかし、それら先述の表現によって、その表現されている事を「行為」として為す、
ということがありうるか、というのが「その表現に影響を受けて行為を行われた被害を防ぐ」という
保護法益となるかを考える必要があります。強姦は一定の割合で犯罪率があるので、因果関係が
難しいですし、四肢切断という意味では、それらがなされるのは証拠隠滅のための死体の隠蔽のためが主で、
「性的目的」で、「創作物の影響を受けて行った」、というのは少なくとも前例を知りません。
そういった意味で、保護法益の大小と精神的自由権の法的制約と
いう意味では、かなり不釣合いのように思えます。


 そもそも「反社会的行為」という概念自体が極めて曖昧なのは先述の通りですが、学術的にも
特に定義の定まっていないもので、それを法律において定義するにしても、限界というものがあり、
日本の場合は省令によってその定義を恣意的に解釈されがちなので、その法律の立法趣旨が
「社会風紀規制」だとすれば、警察官僚の管轄になりますが、警察がかなり恣意的に法律の運用を
しているのは、例を挙げずとも皆さんご存知ではないでしょうか。


  そして、その「反社会的行為」という「社会」というのが、しばしば「国家」と同一視され、
国家に批判的な表現、国策に反する表現や行為を「反社会的行為」と主張されるならば、
治安維持法が拡大解釈されていったのと同じ歴史を繰り返す事になります。


 これは「表現に法的規制を因果関係の大小に関わらずするべきでない」という意味で、
「規制」自体は必要かと思います
しかしそれは現在行われている業界の自主規制によるべきで、
その自主規制の強化を行うべき
ではないかと思います。法的規制を行うのが問題なのは、
他の日記で書きましたように、「不明瞭な立法による言論の萎縮」が起こりかねない、
という一点で、それを第一選択肢にすることは反対です。そのような、市民社会の自律性によってでは
解決できない場合にのみ、精神的自由に対する法的規制が成り立ち得ますが、
今はその段階ではない
、安易な規制は反対だと思います。

 




AX




○後記
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