改定教育基本法の成立

 2006年12月15日、多くの反対意見の声も空しく、国会では
あまり審議もされないまま、教育の憲法と言われた、法律の中では「前文」を有する
非常に重みのある、教育基本法が改定されました。


 と、そのように書いたのですが、私は教育基本法案の問題点や反対の声は
聞いていても、「一体どんな条文なのか」をまだ見ていなかったことに
気がつきました。下のアドレスに今回成立した教育基本法の改定案が
載っていますので、ご参考頂ければと思います。



http://www.geocities.jp/utopian20c/kyouikukihon.html



○条文を見て・・・一体何が問題なのか


 条文を見られた方で、少なくない方は、意外と別に目立って過激なことなど
書いておらず、「普通の条文じゃないか。これに目くじらを立てている左翼は
ヒステリーなんじゃないのか」とおっしゃられるかもしれません。


 正直申しまして、私も初めて条文をさきほど見た時、「そんなに問題があるところが
見当たらない」と第一印象で感じました。しかし問題は、この条文の「ソフトさ」が、
実務でも「ソフト」に用いられればいいのですが、実際はそうはならないことになると
人々が一度痛い目を見た例が、国歌国旗法です。


 国歌国旗法はわずか数行の法律で、「何も罰則規定など定めていない」ということが、
制定推進者たちの主張で、反対者が何故反対なのかを訴えても、「何も罰則を定めてなどいない、
反対する左翼はヒステリーで異常だ」とのように、あしらわれ、そして国旗国歌法は成立しました。


 その結果、国歌国旗法には確かに罰則規定はありません、しかし、教育指導要綱には、
それに従わない者は「職務怠慢」「職務放棄」として、処罰、処分が行われることになりました。
その結果、各地で数百人規模の教師の方々が、処分を受けて法廷闘争を行っていますが、
「国旗国家法に書いてある」というそれらの教員の処罰を当たり前だと主張する人は、
かつての罰則がないのに何が問題だという言葉の舌の根が乾かないうちに、責め立てます。


 このように国旗国家法は教員のパージになり、生徒にとっては国旗や君が代斉唱などの強制という
形をとったわけですが、今回の教育基本法案は、一見「ソフト」に見えますが、
果たしてその通りでしょうか?


○進む平和教育者の追放と国家主義ナショナリズムへの回帰


 このようにタイトルをつけると、「また左翼がおおげさに言っている」と冷笑する方も
いらっしゃるかもしれません。しかし、まず少なくとも「たった2条の条文でなにを騒いでいる」
といわれた国旗国家法において、数百人の教員がパージ(粛清)を受けたのを考えると、
教員免許の更新制などまで言われていますが、それがその額面どおりで終わらない、きな臭い人々によって
立法化されたから問題なのだと思います。


また、国家主義ナショナリズムへの回帰と申しましたが、
これはある意味で歴史の大きな流れともいえ、どういう意味かと申しますと、まず80年代半ばから
90年代を経て00年代に至るまで、私たちはさかのぼれば中曽根元首相の時代から、いわゆる
新自由主義的政策、新保守主義的政策というものに直面し、自民党など保守政党の側もそのように変質して
いきました。新自由主義的政策や新保守主義的政策とは、それまでの自由主義保守主義とかなり、まったく
異なったもので、国家主義的、旧来の混合経済化で生まれていた人々の共同体を容赦なく破壊すること、
また、余談では、そういった人々の共同体への税金は切り捨てるのに対して、軍事に関してだけは
巨額の支出をするといった性格のものでした。分かりやすく具体例でいえば、国鉄やNTTの民営化、
下町などの地上げでの再開発による古い町並みの崩壊、GNP1%枠の突破や思いやり予算といったものが
記憶に新しいかと思います。


 しかし、これら新自由主義新保守主義政策においては、前述のように「保守」と名前がついても、
旧来の伝統的共同体を大規模開発や経済合理化によってとことん破壊してしまったため、
国民は自らのアイデンティティを失わざるを得ない立場に立たされる人もいたかと思います。
失うまでいかなくとも、当時の私たちの生活は、「新興」するものによって生活は塗り替えられて、
それまでのものは変質してしまったのではと思います。


 ですが、これら新自由主義、特に新保守主義は、そういった共同体の破壊を行う反面、
「国家」への、この場合「日本国」への、人々の帰属、終結を呼びかける矛盾した事を行っていると
思います。その動機は「共同体主義」ではなく、「国家主義」の観点から、国家戦略のための
労働力であったり兵士であったりといったものへの個人の結集を呼びかけているのではないかと
思います。しかし、呼びかけるといっても、共同体の多くが希薄になったのに、「日本」に
擬似的共同体意識を持てというのは、なかなか困難です。そういった困難のときのために、
成人相手の場合はシンボル、つまり、「国旗」や「国歌」であったり「靖国神社」であったりするもの、
そして、子供相手の場合は、「日本を愛する事」の「教育」が、求められ、そしてその結果として、
教育基本法や数々の立法がなされているのでは、と思います。


新自由主義新保守主義とは何なのか、どこへ向かおうとしているのか
http://yy45.60.kg/test/read.cgi/utopian/1166398879/


改憲か護憲か】日本国憲法に関するスレッド【ならばその理由は】
http://yy45.60.kg/test/read.cgi/utopian/1161715666/


○追伸・・・教育の憲法を「改憲」するだけの議論を尽くせたのか


 民主主義は多数決だ・・・と、主張するなら、その方は民主主義をあまり理解していないでしょう。
よく大統領制の方がリーダーシップを発揮でき、議院内閣制だから首相はリーダーシップを発揮
できないのだ、という方もいますが、それは間違いです。議院内閣制は非常に権力の強い、
政権を担う側に民主主義を尊重する気がないなら、なにせ首相を出した与党はイコール過半数議席
とっていることですから、改憲以外はやろうと思えば好き勝手に、審議などする必要ないと、
ぽんぽん法案を制定してます。そして、本来はそうだったけれど、民主主義、すなわち少数者の意見や権利を
守った上で、合意を形成して妥協点を探していく政治、それが日本政治だったのですが、
現在はここ数年、「民主主義でわが党は議席を多く獲得して、内閣支持率が高いから、
首相がリーダーシップを発揮して行っても、独裁的などいうなんてとんでもない」と民主主義を
はきちがえて正当化がまかり通った結果、教育という、国家百年の計の視点で考えるべきことを、
強行採決で決めてよかったのでしょうか。私には、それが民主主義を理解している人がやることだと
とても思えません。


この「改憲」で、多くの人々が、悔しさと、そして日本の未来に対して、
非常に不安感、心配の念を抱いているかと思います。このように強行に、無理やり「改憲」した
与党は、次は憲法を狙うでしょうが、教育基本法という国家百年の計ですらあんなに強引に簡単に
定めてしまった人々が、憲法という、その国の行く末を決める行為をできるのでしょうか?
私にはそれが信じられず、とても恐怖感を抱いています。。



○後記
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