掲示板でのご意見・・・日本は「普通の国」へ「右傾化」しているのか


 実は掲示板である方から、「日本社会では右傾化が悪かのように言われている。
日本は昔が左に偏りすぎで、今は普通に戻ろうとしているだけではないのか」という
ご意見を頂きました。


 確かに、その方がおっしゃられていたお話は、ここ10年くらい、PKO法などが
成立した頃から言われてきたのを耳にします。しかし、果たして日本は昔、
左に偏りすぎていたのでしょうか?また、そもそも右傾化は起きているのでしょうか、
起きているならなぜ起きているのでしょうか?


○日本政治の複雑さと自民党「左派」「右派」


 まず、政治においてですが、私は左右のバランスも、決して以前は崩れていなかった
と思います。それは例えば日本は戦後から保守合同までの自由党民主党の期間を入れなくても、
50年以上の間で、そのたった3,4年ほどの間以外の47,8年の間、自民党は政権党で
ありつづけました。


 しかし、それでは保守政党である自民党が長期政権を担ってきたから、日本は保守、
ここでは「左派」の言葉の対比として、「右派」という言葉に変えさせて頂くとすれば、
日本は右派政権の右派が支配的な国家だったのか、というと、そうではないと当然
おっしゃわれるかと思います。


 それは、日本の政党・政治システムが、実に分かりにくいものだったからだと、私は思います。
それは、北海道大学山口二郎さんの表現で「自民党フランチャイズ政党だった」
というのがあるのですが、これは、自民党内には左派右派がある、と、2ちゃんねる
ニュース速報板などでみなさんがおっしゃっていらっしゃる方がおられますが、
自民党に左派って??」というその謎を解くご意見なのだと思います。


 何故そう「左派右派」が生まれたのか、といえば、第一に中選挙区制度であったこと、
第二に自民党の財政基盤が未熟で、財政基盤がむしろ議員個人にあったことから、
「派閥」というものが生まれ、その「派閥」とは、権力闘争のための集まりでもありましたが、
政策の違い、つまり、以前マニフェスト選挙と騒がれましたが、当時は中選挙区制度、つまり、
同じ選挙区に、同じ自民党から複数名立候補する、といった形であったため、派閥が生まれた
のだと思います。


 そしてその後、他の派閥との差別化のために、主義主張が様々ある派閥ができ、また、
選挙区ごとによって民意が異なるので、議員候補は自民党の派閥から「自民党公認」という
フランチャイズの看板」を受け取られる代わりに、党の政策に反しても構わないお墨付きを得て、
自由に自分の選挙区の選挙民が支持する政策を訴え、当選したら「派閥と自民党に尽くす」ことと、
「資金提供」などを行っていたから、フランチャイズ政党だといわれたようです。


そして、その「フランチャイズ」の中では、様々な「お店」として様々な主義主張の「派閥」が、
選挙区の民意の傾向もあり、存在し、そのため、自民党保守政党のはずであるのに、
自民党右派」「自民党左派」、言葉としては「左派」と言われるのも、「右派」と言われるのも、
倦厭されていたせいか、「自民党タカ派」「自民党ハト派」という言われ方がされてきたのだと思います。


 それが小選挙区制への移行と政治資金規正法などの影響が90年代にボディーブローのように
効いてきて、自民党では、派閥は弱まり、代わりに「党」と「党首」が大きな存在となり、
マニフェスト選挙と言われたように、以前と比べて選挙で重要になった「党」が、どんな政策か、
ということが非常に大きくなってきたため、「自民党は左派か?」といえば、そうではありませんし、
支持団体はほとんどが保守派ばかりです。ですから、自民党保守政党としてのカラーを明確にして、
その結果として、自民党左派は弱体化したので、まず第一の理由として、「自民党左派が弱体化したため、
相対的に自民党が右派的になった」ということがあるかと思います。


社会党の歴史と斜陽


 そして第二に、単純に「55年体制の一翼を担っていた、左派の社会党が崩壊したから」、
という風に一言にもいえますが、もう少し細かく申し上げると、元々社会党にも、
「右派」「左派」が存在し、学生運動華やかなりし1950〜80年ごろまでは、いわゆる
社会主義協会派」という方々が、「左派」として執行部を運営したのですが、学生運動では
社青同社会主義青年同盟)、また執行部は、非常に精力的に活動をされていたのですが、
しかし、ソ連軍による、チェコスロバキアの軍事侵略、いわゆる「プラハの春」などの
行為に賛同を表明したりと、ソ連社会主義して信奉いると言われた方々も少なからずいたため、
特にフルシチョフスターリン批判の衝撃もあって、少なくとも「社会主義協会派」の左派と
距離を置かれて、支持もされない方も増えてきて、かつ、浅間山荘事件などを経て、
「享楽の80年代」に入った社会党では、マルクス主義からの決別が必要だと、「右派」の方の意見が
強まり、1986年には「日本社会党の新宣言」としてマルクス主義からの決別がなされ、
「左派」の少なくない方は時代が多少前後しますが、社会市民連合を結成し、離党することになりました。


 そして89年から91年などに起きた、ソ連東欧の崩壊とドミノ式の民主化は、
ますます社会党内の「左派」を弱体化させ、「右派」であった村山富市元首相による自社連立という
暴挙がなされたあと、有権者を裏切った社会党はもはや求心力を失い、解党状態になり、
多くが後の民主党に流れてしまいました。これらは社会党の責任で当然ありますが、そういった意味でも、
日本の「右傾化」というものは一応存在するといえるのではないか、と思います。


○終わりに・・・「普通の国」とは何なのか


 果たして掲示板でご意見を頂きましたお方に対して、これが何かのご参考頂けるものであるならばいいのですが、
なんだか政治史を書かせて頂いて、お茶を濁したような気もします(苦笑)ただ、掲示板の方のご意見での、
普通の国」とは何なのか、今までが異常だったのか、と考えますと、私はそうは思えません。
たぶん、「普通の国」とは、「自衛権が認められ国防軍を持ち、国連活動から同盟軍としての行動までできる国」
などを指すのでは、ですから、「普通でない部分」は、おそらく憲法弟9条だとおっしゃられるのでは、と思いますが、
例えば、私たちはまだ改憲をしていませんが、イラク派兵を行ってしまえていました。いわゆる解釈改憲というやつ
ですが、「それは不健全だ、意見状態を治すため、憲法を改正するべきだ」とおっしゃられる方に対しては、
「いや、違憲状態だと認めてしまうのなら、法を既成事実に適合するように事後的に変えるのではなく、
法に事実が適合するようにするべきだ、そうでなければ法治国家といえない」と思います。


 しかし、私は別に自衛隊を放棄せよ、と言っているわけではありません。これは繰り返しになりますが、
私の意見は、「当面、解釈改憲自衛隊を運営して、その結果、確かにおっしゃられる通り、いろいろ
無理が出てきるかと思いますが、その時のために左翼は憲法弟9条の理念を訴え、小泉首相
神学論争と切って捨てた、平和に関しての果てしない論争を行うことこそ、シビリアンコントロール
当然として、自衛隊の活動の行き過ぎ、米軍との関係との行き過ぎなどを防げる、いわば規範倫理として、
常に検証されていくべきではないのか、そう私は思います。


安倍政権一般に関してのスレッド
http://yy45.60.kg/test/read.cgi/utopian/1161277572/l50


改憲か護憲か】日本国憲法に関するスレッド【ならばその理由は】
http://yy45.60.kg/test/read.cgi/utopian/1161715666/l50



○後記
よろしかったら↓のランキングにご投票をよろしくお願いしますm(__)m

人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村>

web拍手 by FC2